横綱物語 vol.2 綾川 五郎次

下野国(現:栃木県)出身で、横綱力士碑には「享保2年(1717年)に大関になった」と書かれているが、確証は無い。実際には、それより後の寛保年間(1741年-1744年)に活躍したようで、寛保3年(1743年)5月に大坂・堀江で行われた興行では「東小結」、京都・二条河原で行われた興行では「西関脇」で出場したと記録されている。二条河原での興行では当時最強・無敵を誇った阿蘇ヶ嶽桐右衛門を破ったことで、周囲から「綾川さま、綾川さま」と褒め称えられたという。綾川は江戸相撲の力士だが、珍しく京都相撲・大坂相撲でも人気があったという。 小結、関脇では上記のように出場したという記録があるが、綾川は「大関として出場した」という記録が残されていない。それでも綾川が歴代横綱に加えられているのは、寛政元年(1789年)に谷風梶之助 (2代)・小野川喜三郎に対して吉田司家が横綱免許を授与する際に、寺社奉行へ提出した書類に「過去に綾川、丸山と申す者に(横綱)免許を与えたが、記録は火災で失われた」と記載されていることが根拠である。

日本相撲協会が公認している横綱は明石志賀之助に次いで2代目とされているが、明石とともに「伝説上の横綱」と考えるのが一般的であるそうです。



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Author: ozumojp

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